医はき師MBA てらぽん ちゃんぽん ブログ

医師はり師きゅう師経営学修士のてらぽんです。日々の気付きを記します。

尊敬とは、相手をありのままに見ること。アドラー心理学に学ぶ人間関係と人生の選び方

尊敬とは、相手をありのままに見ること。アドラー心理学に学ぶ人間関係と人生の選び方

『幸せになる勇気』を読んで考えたこと② ― 尊敬・共同体感覚・過去との向き合い方 ―

前回に引き続き、アドラー心理学について考えてみたい。

今回のテーマは「尊敬」と「共同体感覚」、そして「過去との向き合い方」である。

アドラー心理学というと、「嫌われる勇気」や「自立」といった言葉が注目されがちだが、今回紹介する内容は、教育や子育て、職場の人間関係、さらには自分自身との向き合い方にも深く関係している。

特に、最後に紹介する「カウンセリングの三角柱」は、私にとって非常に印象深いものだった。

少し長くなるが、お付き合いいただきたい。

1.そもそも「尊敬」とは何か?

まずは、こんな言葉を紹介したい。

「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである」

これは、アドラーと同じ時代を生き、ナチスの迫害を逃れてドイツからアメリカへ渡った社会心理学者、エーリッヒ・フロムの言葉である(趣旨訳)。

実に興味深い。

尊敬とは、相手を崇めることでも、優れた能力や実績を称賛することでもない。

「ありのままに、その人を見ること」

これこそが尊敬の本質なのだという。

ちなみに、尊敬を意味する英語の respect は、ラテン語の respicere(振り返って見る、顧みる)に由来する。

つまり、尊敬という言葉には、もともと「見る」という意味が含まれているのである。

相手の肩書や能力、社会的地位などをいったん脇に置き、一人の人間として、その人自身を見る。

言葉にすれば簡単だが、これが案外……いや、相当に難しい。

そして、この考え方は他者だけでなく、自分自身にも当てはまる。

自分を尊敬するとは、何かに成功した自分だけを認めることではない。

欠点も、弱さも、不完全さも含めて、ありのままの自分を見つめ、受け入れること。

自分に対しても、他者に対しても、この姿勢が大切なのであろう。

2.尊敬というボールは、要求しても返ってこない

では、他者を尊敬するためには、具体的にどうすればよいのか。

その第一歩が、

「他者の関心事に関心を寄せること」

である。

ここで一つ、尊敬をボールに例えてみたい。

尊敬というボールは、自ら投げることによって、初めて相手から返ってくる可能性が生まれる。

逆に、こちらから何も投げずに、

「私を尊敬しろ!」
「もっと敬意を払え!」

と叫んだところで、ボールが飛んでくるわけではない。

尊敬は強要できないのである。

もちろん、こちらが尊敬を示したからといって、必ず相手から尊敬が返ってくる保証もない。

それでも、まずは自分から相手に関心を寄せ、その存在を尊重する。

相手の態度を変えようとする前に、自分の態度を変える。

この順序が大切なのだと思う。

3.共同体感覚とは「他者への関心」である

アドラー心理学を理解するうえで、避けて通れない概念がある。

それが「共同体感覚」である。

ドイツ語では Gemeinschaftsgefühl。

Gemeinschaft(共同体)と Gefühl(感覚・感情)を組み合わせた言葉である。

これをドイツ語の字義に忠実に英訳するならば、Community Feeling や Community Sense といった表現になるだろう。

しかし、アドラーは英語圏にこの概念を伝えるにあたり、Social Interest(ソーシャル・インタレスト)という表現を用いた。

ここが実に興味深い。

Social Interest。

直訳すれば「社会への関心」。

さらにかみ砕けば、「社会を形成する他者への関心」と考えることができる。

共同体感覚とは、単に集団の一員として仲良くすることでも、周囲に同調することでもない。

自分以外の人間に関心を持ち、その人たちとともに生きているという感覚なのだろう。

では、他者に関心を寄せるとは、具体的にどういうことなのか?

4.子どもの「好き」を否定していないだろうか?

例えば、子どもたちが何かの遊びに夢中になっている場面を想像してほしい。

大人からすれば、何がそんなに面白いのか、到底理解できない遊びかもしれない。

いかにも子ども向けの、くだらなく見えるおもちゃ。

何時間も没頭しているゲーム。

時には、親として眉をひそめたくなるような書物やコンテンツに興味を示すこともあるだろう。

そんなとき、多くの親はこう考える。

「もっと価値のあるものに時間を使いなさい」
「そんなことより、もっと役に立つことをしなさい」

そして、子どもが関心を寄せているものを取り上げ、大人が価値を認めた別のものを与えようとする。

無論、親としては子どもの将来を思っての行動である。

私自身も子育てをする中で、思い当たる節がある。

しかし、アドラー心理学の視点から考えると、ここには大切なものが欠けている可能性がある。

それが「尊敬」である。

子どもの関心を、大人の価値観だけで否定してしまっているのだ。

もちろん、危険な行為や他者を傷つける行為まで容認すべきという話ではない。親として必要な制限や指導はある。

ただし、その前に一度、考えてみたい。

「この子は、いったい何に面白さを感じているのだろう?」

子どもの好きなものを、自分も好きになる必要はない。

理解できなくてもよい。

ただ、その子が関心を寄せている世界に、自分も関心を寄せてみる。

これが尊敬の第一歩なのだろう。

5.他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じる

アドラー心理学における共同体感覚を、別の表現に置き換えると、次のようになる。

「他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じる」

なんとも美しい表現である。

そして、なんとも難しい。

そもそも私たちは、誰もが同じ世界を生きているわけではない。

同じ出来事に遭遇しても、ある人は喜び、ある人は怒り、またある人は悲しむ。

なぜなら、私たちは客観的な世界をそのまま認識しているのではなく、自分自身が意味づけした「主観的な世界」を生きているからである。

重要なのは、

「世界がどうであるか」だけではなく、
「その人が世界をどう見ているか」

ということ。

私たちは、自分自身の主観から完全に逃れることはできない。

だからこそ、他者の主観に関心を寄せる必要がある。

教育においても、子育てにおいても、医療においても、これは共通する話ではないだろうか。

相手を理解するとは、相手を自分の価値観に引き寄せることではない。

まずは相手の見ている世界を知ろうとすること。

ここに、尊敬と共同体感覚の接点があるように思う。

6.過去が今を決めるのか? 今が過去を決めるのか?

さて、ここからは少し話題を変えたい。

アドラー心理学には「目的論」という重要な考え方がある。

私たちは一般的に、過去に起きた出来事が原因となって、現在の自分が形成されていると考える。

しかし、アドラー心理学は、現在の目的という視点から人間の行動を捉えようとする。

ここで一つ、考えてみたい。

「私たちの過去は、本当に固定されたものなのだろうか?」

もちろん、過去に起きた事実そのものを変えることはできない。

しかし、その出来事に与える意味は、現在の自分によって大きく変わるのではないだろうか。

例えば、過去に大きな失敗を経験したとする。

ある人はこう語る。

「あのとき失敗したから、私は今でもダメなんだ」

一方で、同じような失敗を経験した別の人は、こう語るかもしれない。

「あの失敗があったからこそ、今の自分がある」

前者にとって、過去の失敗は現在の不幸を説明する材料となっている。

後者にとって、過去の失敗は現在の成功を支える物語となっている。

まるで、失敗をバネにしてジャンプするように。

つまり、過去が今を決めているだけではなく、「今の自分が過去の意味を決めている」とも考えられるのだ。

これはなかなか面白い。

7.人間は誰しも「私」という物語の編著者である

『幸せになる勇気』には、人間を自分自身の物語の編著者として捉える、印象的な議論が登場する。

私たちは誰しも、自分の人生という物語を持っている。

そして、その物語は必ずしも過去の出来事を客観的に並べた記録ではない。

現在の自分を説明するために、過去の出来事を選び取り、それぞれに意味を与えている。

今の自分に満足していなければ、過去の不幸が強調されることもある。

逆に、今の自分を肯定できていれば、かつての挫折が大切な経験として語られることもある。

そう考えると、過去とは不思議なものである。

過去の出来事そのものは変わらないのに、現在の自分によって、その色合いは変化していく。

ただし、ここは誤解してはいけないところでもある。

過去の被害や悲劇が存在しなかったという話ではないし、トラウマに苦しむ人が自ら好き好んで苦しみを選んでいるという意味でもない。

現実に起きた被害や、その後に残る心身への影響は尊重されるべきである。

そのうえで、過去の出来事に自分の未来をどこまで規定させるのか、という問いがある。

過去を変えることはできない。

しかし、過去との関係を変えていく余地はある。

そして、今の自分を肯定することができれば、かつての不幸もまた、人生を構成する一つの出来事として捉え直せるかもしれない。

8.三角柱:「悪いあの人」と「かわいそうな私」

さて、ここからが今回、私が特に紹介したかった話である。

『幸せになる勇気』に登場する「カウンセリングの三角柱」という考え方だ。

三角柱を一つ、想像してほしい。

その三つの側面には、それぞれ異なる言葉が書かれている。

しかし、自分の座っている位置からは、三つのうち二つの側面しか見えない。

その二つには、こう書かれている。

「悪いあの人」

そして、

「かわいそうな私」

どうだろう。

家族や友人、職場の同僚などに相談を持ちかけるとき、私たちは案外、この二つの話ばかりをしていないだろうか。

「あの人がこんなひどいことをした」
「あの人のせいで、こんなことになった」

あるいは、

「私はこんなに苦労している」
「誰も私のことを理解してくれない」

もちろん、誰かに自分の苦しみを聞いてもらうことは大切である。

不当な扱いを受けたのであれば、その事実を明らかにし、必要な支援や責任を求めることも重要だろう。

しかし、いつまでもこの二つの側面だけを眺め続けていたら、どうなるだろうか。

相手への非難と、自分の不遇の説明。

その二つを繰り返すだけでは、今後の行動が見えてこないこともある。

実は、この三角柱には、もう一つの側面が隠されている。

そこに書かれている言葉こそ、今回の核心である。

9.三角柱の隠された一面:「これからどうするか?」

三角柱をくるりと回してみよう。

そこには、こう書かれている。

「これからどうするか」

これである!

なんともシンプルで、そして力強い言葉だろうか。

「悪いあの人」でもなく、
「かわいそうな私」でもなく、

「これからどうするか?」

私たちが未来に向かって考えるべきことは、まさにこの一点なのかもしれない。

過去に誰が悪かったのかを延々と論じても、過去そのものは変わらない。

自分がいかに不幸だったかを語り続けても、それだけでは未来の行動が決まるわけではない。

しかし、

「では、これから自分はどうしたいのか?」
「そのために、何ができるのか?」

と問いを変えることで、初めて未来に向けた選択肢が生まれてくる。

これは、過去の苦しみを無視するという意味ではない。

苦しみを十分に受け止め、必要な支援を得ることも含めて、これからどうするかを考えるということである。

過去の物語を語ることも大切だが、そこにとどまり続ける必要はない。

人生の編著者は、ほかでもない自分自身なのだから。

10.まとめ:尊敬から始まり、未来への問いにたどり着く

今回の内容を振り返ると、一見別々に見える「尊敬」「共同体感覚」「目的論」は、実はつながっているように思う。

尊敬とは、相手をありのままに見ること。

共同体感覚とは、他者の関心事に関心を寄せ、他者の五感で世界を理解しようとすること。

そして目的論は、過去の原因だけに目を向けるのではなく、現在の目的や、これからの行動に目を向ける視点を与えてくれる。

他者に対しては、相手を自分の価値観で決めつけない。

自分自身に対しては、過去の物語だけで未来を決めつけない。

そう考えると、これらは他者と自分の双方に向けられた「尊敬」の話なのかもしれない。

最後に、今回最も心に残った三つの言葉を紹介して締めくくりたい。

  • 悪いあの人

  • かわいそうな私

  • これからどうするか

悩んだとき、腹が立ったとき、誰かに愚痴をこぼしたくなったとき。

自分は今、三角柱のどの面を見ているのだろうか。

そんなふうに、自分自身に問いかけてみたい。

そして、できることなら三角柱をくるりと回してみよう。

「さて、これからどうするか?」

この問いを持てることこそ、自分の人生を自分で生きるための、大切な一歩なのだと思う。

(続く、、、?)


#アドラー心理学 #幸せになる勇気 #アドレリアン #尊敬とは #共同体感覚 #ソーシャルインタレスト #目的論 #自立とは #子育て #教育 #人生哲学

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アドレリアンへの道!?①:『幸せになる勇気』からアドラー心理学を学ぶ

アドラー心理学の実践者は「アドレリアン(Adlerian)」と呼ばれるらしい。

……ということは、最近アドラーについてあれこれ考えている私は、もしかするとすでに「アドレリアン」なのかもしれない(笑)。

今回はまず、「哲学とは何か」「アドラー心理学は何を目指しているのか」、そして「自立とは何か」というところまで考えてみる。

そういえば、映画『クリフハンガー』で「エイドリアーーーン」と叫ぶシーンが印象的だった。

空に叫ぶ、幸せへの勇気

アドラー心理学は「科学」なのか

アドラーは、自らの心理学を「科学」であると考えていた。

ところが彼が「共同体感覚」という概念を強く打ち出すようになると、多くの仲間が彼のもとを離れていったという。

「そんなものは科学ではない」

そう考えた人たちがいたからである。

確かに「共同体感覚」という言葉には、実験や測定だけでは捉えきれない、哲学的あるいは倫理的な響きがある。

しかし、ここで本書は非常に興味深い視点を示している。

宗教も、哲学も、科学も、その出発点はもともと同じなのではないか、と。

宗教・哲学・科学は、同じ問いから始まった

人間は昔から、こんなことを考えてきた。

「私たちはどこから来たのか」

「私たちはどこにいるのか」

「私たちはどう生きればいいのか」

この問いに答えようとして生まれてきたものが、宗教であり、哲学であり、科学でもある。

古代ギリシャでは、そもそも哲学と科学は明確に分かれていなかった。

scienceの語源となったラテン語の「scientia」も、もともとは単に「知識」を意味する言葉だったという。

つまり科学も哲学も、根本には、

「世界とは何なのか」

「人間とは何なのか」

「真理とは何なのか」

という問いがある。

真理を探して、暗闇の中の竿を歩く

本書には、とても印象的なたとえが出てくる。

真理を探究する私たちは、暗闇の中に伸びる長い竿の上を歩いているようなものだ。

どこまで続いているのかは分からない。

足元もよく見えない。

それでも常識を疑い、自問自答しながら、一歩ずつ先へ進んでいく。

すると、途中でこんな声が聞こえてくる。

「もう十分だよ」

「これ以上進んでも何もない」

「ここが真理だ」

そこで歩みを止め、竿の途中から飛び降りる。

本書では、この姿をひとつの比喩として「宗教」と対比している。

一方、哲学とはどういうものか。

どこまで行っても、

「本当にそうなのか?」

「まだ先があるのではないか?」

と問い続ける。

つまり哲学とは、「答えを持つこと」ではなく、「問い続けること」なのだ。

哲学とは「知を愛すること」

「哲学」の原語であるギリシャ語 philosophia は、

philo=愛する
sophia=知

つまり「知を愛する」という意味を持つ。

哲学者とは、「すべてを知っている人」ではない。

むしろ、

「まだ知らないことがある」

「もっと知りたい」

と思い続ける人である。

完全な知者になってしまった瞬間、その人はもう「知を愛する者」ではなくなってしまう。

ここが面白い。

知識が増えることと、哲学することは同じではない。

むしろ、

「自分は分かっている」

と思った瞬間に、哲学は止まってしまうのかもしれない。

カントも、

「哲学を学ぶことはできない。哲学することを学ぶことができるだけだ」

という趣旨のことを述べている。

これは医学にも、教育にも、政治にも当てはまりそうだ。

知識を覚えること以上に、

「本当にそうなのか?」

と問い続ける姿勢そのものが大切なのだろう。

他者の期待を満たすために生きているのではない

アドラー心理学の有名な考え方のひとつに、

「あなたは他者の期待を満たすために生きているのではない」

というものがある。

そして同時に、

「他者もまた、あなたの期待を満たすために生きているのではない」

と考える。

この二つはセットで考えなければならない。

「他人の期待に応えなくていい」

だけなら、単なる自己中心主義にもなりかねない。

大切なのは、

「自分は他人の人生を支配しない。そして他人にも自分の人生を支配させない」

という相互的な関係なのだと思う。

人間は「よりよくなりたい」と願う存在

アドラー心理学では、人間には「優越性の追求」という根源的な欲求があると考える。

「優越」という言葉だけを見ると、

「他人より上に立ちたい」

という意味に聞こえる。

しかし本来は少し違う。

「今より少しでも良くなりたい」

「できなかったことが、できるようになりたい」

という方向性である。

分かりやすいのは、赤ちゃんだ。

最初は自分で移動することもできない。

やがて寝返りをし、はいはいをし、つかまり立ちをし、二本の足で歩く。

言葉を覚え、自分の意思を伝えられるようになる。

つまり人間は、生まれながらにして、

「無力な状態から抜け出したい」

「もっと自由になりたい」

「自分のことを自分でできるようになりたい」

という方向へ進んでいる。

これをアドラー心理学では「自立」という言葉で捉える。

教育の目的とは「自立」である

ここが今回、特に印象に残った部分だった。

教育の目的は何なのか。

知識を増やすことだろうか。

正しい答えを教えることだろうか。

社会のルールに従わせることだろうか。

アドラー心理学から考えると、もっと根本的な目的がある。

それが、

「自立を促すこと」

である。

人間が人間として幸せに生きるためには、

「共同体の中でどう生きればよいのか」

「他者とどう関わればよいのか」

「自分の居場所をどうつくればよいのか」

を学んでいかなければならない。

自分を知る。

他者を知る。

人間という存在を知る。

アドラーは、こうした知を「人間知」と呼んだ。

アドラー心理学が目指す4つのこと

アドラー心理学では、目標を「行動面」と「心理面」に分けて考える。

個人的にはここめっちゃ大事だと思ってます。

領域 目標
行動面① 自立すること
行動面② 社会と調和して暮らせること
心理面① 「私には能力がある」と認識すること
心理面② 「人々は私の仲間である」と認識すること

この4つの関係がとても興味深い。

図にすると、こんな感じだろう。

     【自立する】
       ↑
 「私には能力がある」
       │
       │
  ────────────
       │
       │
 「人々は私の仲間である」
       ↓
 【社会と調和して暮らす】

つまり、

「自分には、自分の人生を歩いていく力がある」

という感覚と、

「世の中の人間は、基本的には敵ではなく仲間である」

という感覚。

この二つがあって初めて、

「自立」と「共同体との調和」

が成立する。

「私には能力がある」は自己効力感なのか?

ここを読んでいて、私はふと思った。

「私には能力がある」という感覚は、心理学でいう「自己効力感」に近いのではないか、と。

自己効力感(self-efficacy)とは、簡単に言えば、

「自分はこの課題を遂行できそうだ」

という感覚である。

非常に近い。

ただし、完全に同じとは言い切れないように思う。

自己効力感は一般に、

「この課題ならできる」

「この状況に対処できる」

という、比較的具体的な課題や行動に対する「できる感」に使われる。

一方、アドラー心理学における「私には能力がある」は、もう少し広い。

「私は、自分の人生の課題に向き合っていくことができる」

「私は、自分で選び、自分で引き受けることができる」

という「自己信頼」に近い。

だから私は、

「自己効力感を含んだ、より広い自己信頼」

くらいに理解するとよいのではないかと思っている。

自立を忘れた教育は「介入」になる

そして、本書の中で最も刺さったところのひとつがここだった。

もし教育が「自立」という目的を忘れたら、どうなるのか。

教育する側は、つい、

「こうしなさい」

「こちらが正しい」

「あなたのためだから」

と相手を動かそうとする。

それは教育ではなく、やがて「介入」や「教導」になっていく。

これは学校教育だけの話ではない。

カウンセリングでも同じ。

仕事の指導でも同じ。

医療でも、おそらく同じである。

患者さんに「正しい生活」をさせる。

部下に「正しい仕事」をさせる。

子どもに「正しい人生」を歩ませる。

一見すると、相手のためを思っているように見える。

しかし、

「こちらが考える正解へ相手を誘導すること」

と、

「相手が自分で考え、自分で選択できるよう援助すること」

はまったく違う。

教育とは「教えること」ではなく「自立を援助すること」

ここまで読んで、私の中で「教育」という言葉の意味が少し変わった。

教育とは、

「正解を教えること」

ではない。

「こちらの価値観に相手を近づけること」

でもない。

教育する側の役割は、

「相手が、自分の人生を自分で生きられるようになることを援助すること」

なのではないか。

そう考えると、学校の先生だけではない。

親も。

医師も。

上司も。

政治家も。

人を指導する立場にいる人は、常に問われる。

「私はこの人の自立を促しているのか?」

それとも、

「自分の望む方向へ、この人を動かそうとしているのか?」

この違いは、思っている以上に大きい。

アドラー心理学を読みながら、だんだん分かってきた。

「自立」とは、誰にも頼らず一人で生きることではない。

むしろ、

「自分の人生を、自分のものとして引き受けること」

なのかもしれない。

そしておそらく、その先に「共同体感覚」という、アドラー心理学の核心が待っている。

もう少しまとめを続けるために歩いてみようと思う。次回へ続く。。。

 

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日本マクドナルド株式会社 CMO ズナイデン房子さんの講演を聞いたら色々と“刺さること”があった。

「選んだ道を正解にしていく」―ズナイデン房子さんの講演から考えた、人・組織・ブランドの強さ

先日、マクドナルドCMOのズナイデン房子さんの講演(島原出身、島高清楓塾)を聞く機会があった。
『10年間で11人が変わっているマクドナルドCMOを引き継いで、早8年になる』という強烈な掴みから始まった。

マーケティングやブランドの話だけではない。

「多様性とは何なのか」
「人やチームをどう育てるのか」
「自分の人生をどう選んでいくのか」
「AI時代に、人間に残されるものは何なのか」
「これからの時代に、組織はどうあるべきなのか」

そんな話が、一本の線でつながっていた。

講演を聞きながら、僕の中に残った言葉を並べてみる。

「強みを伸ばす」
「自分と違う個性を集める」
「ブランドは、お客様の頭の中にある」
「代替の効かないブランドへ」
「自分の直感に素直に」
「人生の選択に正解はない」
「去年の自分を超えていけ」

一見するとバラバラである。

しかし、一段抽象化してみると、これらはすべて、

「他の何かになろうとするのではなく、自分たちにしかない価値を育てる」

という話だったように思う。

「弱みを直す」より「強みを伸ばす」


ドラッガーの名言にも、『強み』に関連するものは多い。
“不得手なことに時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである”
これは子供の教育でも流行っている?ことなのかもしれない。
人を育てるとき、僕たちはつい「足りないもの」に目を向ける。

もっと積極的に。
もっと論理的に。
もっとコミュニケーション能力を。
もっとリーダーシップを。

いわば、欠けている部分を埋めようとする。

しかし、講演で印象に残ったのは「強みを伸ばす」という考え方だった。

ストレングスファインダーなども、その一つだろう。

その人が何を自然にできるのか。
何をしているときに力を発揮するのか。
他の人より少ない努力でできてしまうことは何なのか。

そこを見る。

そして褒めるときも、

「すごいね」

だけではなく、

「最後まで諦めずに、そこまで調べたのがすごい」
「相手の話を聞いてから、自分の意見を言ったところがよかった」

と、結果ではなく「過程」を超具体的に認める。

さらに印象的だったのが、

「尊敬するよ」

という言葉だった。

褒める、より少し深い。

「よくできたね」は、上から下にも言える。

しかし、

「その姿勢を尊敬する」

という言葉には、相手を一人の人間として認める響きがある。

ここには、単なる人材育成を超えたものがあるように思う。

人間は「評価される存在」である前に、「尊重される存在」なのだ。

また、ヒトは見ていられる、評価されると、認められると、嬉しい生き物でもある。やはり集団の中で生きるように備わっているのであろう。
類似した名言(頻出)
「苦しんでいる人は、自分の苦しみをわかってくれる人がいるとうれしい。」(小澤竹俊医師)

多様性とは「いろいろな人がいること」ではない

講演では、多様性についても多く語られた。

「多才で、多彩な組織」。

この表現が印象に残った。

多様性というと、年齢、性別、国籍などを思い浮かべやすい。

もちろん、それも大切である。最近は学会の理事もいわゆる多職種を入れる動きが出ている。

しかし、組織にとって本当に重要なのは、

「考え方、重要点の置き所が違う人がいること」

なのかもしれない。

自分と同じような人ばかり集めれば、話は早い。

会議でも、

「ですよね」

で終わる。

しかし、不確実性が大きくなり、一筋縄ではいかない問題が増えてくると、それでは弱い。これが日本がうまく成長を維持できなかった理由であったかもしれない。
“一筋縄”や“右に倣え”や“規律を重んじる”といった、かつての日本の強みが、不確実性が増した外部環境の変化が生じたことで、強みから弱みになった。

と解釈した。

自分には思いつかない問いを出す人。
自分とは逆の角度から見る人。
みんなが右と言っているときに、「本当に右ですか?」と言える人。

そういう「個性という多様性」が必要になる。

だからこそ、

「自分と違う個性を集める」。

そして、

「自分の型に、相手をはめない」。

これは簡単そうで、かなり難しい。

僕たちは無意識のうちに、

「自分だったらこうする」
「普通はこう考える」
「こういう人が優秀だ」

という自分の物差しで人を測ってしまう。
注意していないと、自分の物差しで人を測ってしまうとズナイデンさんも強めていた。

違う人を集めるだけでは、チームにはならない

ただし、多様性には弱点もある。

違う人を集めれば、当然、意見はぶつかる。紛糾する。

そこをなだめるのが、私の仕事でもあるともおっしゃっていた。

が、むしろ本当に多様な組織なら、意見が紛糾しない方がおかしい。

そこで必要になるのが「信頼関係」だという話も印象に残った。

これは非常に重要だと思う。

多様性だけを増やして、信頼を育てなければ、組織はただ分裂する。

しかし、

「この人は自分とは違う意見を言っているけれど、組織を良くしようとしている」

と互いに信じられていれば、対立は「破壊」ではなく「創造」につながる。

具体から一段抽象化すると、

「良い組織とは、意見が一致する組織ではない」

ということになる。

むしろ、

「意見が一致しなくても、一緒に進める組織」

の方が強い。

不確実な時代に求められているのは、「正解を知っている組織」ではなく、

「正解がない状況でも、違う人たちが考え続けられる組織」

なのだろう。

ブランドは企業のものではない

そして講演はマーケティングの話へ。

ここで、とても印象に残った言葉があった。

「ブランドは、お客様の頭の中にあるイメージであり、お客様の持ち物である」

企業が、

「私たちはこういうブランドです」

と宣言したからブランドになるわけではない。

企業がどれだけ格好いい広告を作っても、

お客様がそう思わなければ、そのブランドは存在しない。

例えばマクドナルドと聞いて、何を思い浮かべるだろう。

ハンバーガー。
ポテト。
子どもの頃の思い出。
家族との時間。
ドライブ中の昼食。
部活帰り。
忙しい日の食事。

おそらく、人によって違う。

ブランドとは「商品そのもの」ではなく、

商品と人との間に積み重なった記憶や感情を含めたものなのだ。

だから、ブランドは企業だけでは作れない。

企業と顧客との「関係」の中で作られていく。

青春時代のビッグマックを想起させるようなCM作成されていた。

強いブランドは「代替が効かない」

ここから、さらに面白い話につながる。

「どんなブランドが強いのか?」

答えの一つが、

「代替の効かないブランド」

である。

安い。速い。便利。機能が良い。

こうした価値はもちろん重要である。

しかし、数字で比較できる価値だけで勝負していると、もっと安く、もっと速く、もっと便利なものが現れた瞬間に置き換えられてしまう。

一方で、

「なぜか、ここが好き」
「これじゃないと嫌だ」
「多少遠くても、ここに行きたい」

という存在は強い。

これはブランドだけの話ではない。

人間関係にも似ている。

友人を、

「知識量が83点だから付き合っている」

とは考えない。

家族を、

「コストパフォーマンスが高いから一緒にいる」

とも考えない。

人と人との関係は、本来もっと非合理である。

癖がある。欠点もある。でも、その人がいい。

ブランドと人との関係も、それに近いという。

確かに。ここが非常に面白かった。

人間の「非合理」を生むものは何か。それは、、、感情、心理学であると。

AIが「最適解」を出す時代に、人間は何をするのか

そして、ここからAIの話につながる。

AIは、膨大な情報から「最適解」を見つけることを得意とする。

これから、その能力はさらに高まっていくだろう。

では、人間の役割は小さくなるのだろうか。

僕はむしろ逆ではないかと思った。

「正解を出す能力」の価値が相対的に下がれば、

「どちらを面白いと思うのか」
「そもそも、何を問いにするのか」
「合理的には説明できないけれど、なぜかこちらに惹かれる」

という部分の価値が高まる。

そこで出てくるのが、

「自分の直感に素直に。人と違ってもいい」

という言葉である。

AIは「多くの情報から考えると、この選択が合理的です」と教えてくれる。

しかし最後に、

「でも、僕はこちらに行きたい」

と決めるのは、人間だ。

そこには想像力や創造力が必要になる。
いまのところ、AIに想像力や創造力はないことになっている。
(が、そう遠くない時代に、おそらく想像力や創造力を持つようになるだろうと思っている。まぁ想像力や創造力は既存の四則演算ででてくる。真の想像や創造はおそらくたまたま的な要素が大きい。これは、いわゆる現状の外にある。)

「正解を探す力」から、

「まだ存在しないものをつくる力」へ。

AI時代だからこそ、まだ人間にしかできないとされるクリエイティブ・イノベーションの重要性は高まるのかもしれない。
繰り返しになるが、AIがクリエイティブ・イノベーションをし始めたら、人間は何をするのであろうか、、、(;^_^A、こんなことにも興味がある。

人生の選択に「正解」はない

講演の最後に紹介された三つのアドバイスも印象的だった。

「自分の直感に素直に。人と違ってもいい」

「自分の可能性や能力を信じる」

「人生の選択に正解はない。選んだ道が正解になっていく」

特に最後の言葉が好きだった。

僕たちは人生の岐路に立つと、

「どちらが正解だろう」

と考える。

A病院に行くべきか。
B病院に行くべきか。

転職するべきか。
今の場所に残るべきか。

挑戦するべきか。
やめておくべきか。

しかし、人生は比較試験ではない。

Aを選んだ自分と、Bを選んだ自分を同時に観察することはできない。

だから、本当の意味で、

「あのときAを選ぶのが正解だった」

と証明することなどできない。

できるのは、

「自分が選んだAという道を、その後どう歩くか」

だけである。

つまり、

「正解を選ぶ」

のではなく、

「選んだものを正解にしていく」。

そう考えると、人生の見え方は少し変わる。

「去年の自分を超えていけ」

そして、もう一つ。

「去年の自分を超えていけ」

これは、ぼそっと言った一言であったが言霊があった気がした。

ただ、私の聞く集中力が高かっただけかもしれないが。

他人と比べれば、上には上がいる。

肩書き、収入、能力、実績、知名度。

比較を始めれば終わりがない。

しかし比較対象を「去年の自分」に変えると、話はシンプルになる。

去年より少しできるようになったか。
去年より少し挑戦したか。
去年より少し他人の個性を尊重できたか。
去年より少し自分の可能性を信じられたか。

それでいい。

考えてみれば、これは最初の「強みを伸ばす」という話にも戻ってくる。

他人になる必要はない。

自分の強みを知り、
自分とは違う他者を尊重し、
その違いを組み合わせ、
自分にしかない価値をつくっていく。

人も、組織も、ブランドも「関係」の中で強くなる

今回の講演を振り返って、わたしの中では、

「自己肯定」
「多様性」
「組織」
「ブランド」
「AI」
「人生」

という話が、一つにつながった。

強い人とは、すべてができる人ではない。

自分の強みを知り、自分の可能性を信じられる人である。

強い組織とは、同じような優秀な人を集めた組織ではない。

違う個性を持つ人たちが、互いを信頼しながら意見をぶつけられる組織である。

強いブランドとは、性能表で一番のブランドではない。

「これがいい」と誰かの心の中で思ってもらえる、代替の効かないブランドである。

そして、強い人生とは、

「正解ばかりを選び続けた人生」

ではないのだと思う。

人と違っていても自分の直感を信じ、自分で選び、

その選択を少しずつ「正解」に変えていく人生なのだろう。

「去年の自分を超えていけ」

そのために必要なのは、誰かになることではない。

自分の中にすでにあるものを見つけ、それを少しずつ育てていくことなのかもしれない。

最後に

さぁ、ビッグマックを食べに行こう、、、🍔

マクドナルドと描く、選んだ道の未来

おまけ

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かあちゃん取扱説明書

いわゆる読書感想文の課題本。
ふいに読んだらいい話だった。

かあさんあるあるが満載で、多くの子供達がニヤニヤしながら読んで、すぐに実践しそうな内容です。
ひとまず、冒頭の作文だけ読むだけでも面白い!そこでこころを掴まれますよw
夫婦間や家族間を再考するのにも良い?!
オススメです。
色々書きたいけど、書けば何かとネタバレになりそうなので、今日はシンプルに終了。

おまけ

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「店舗限定」商品を買って、「外来診療の重み」を感じた話

「店舗限定」に弱いのは、地方に住んでからだった

今回は、少し思い出話から。

そして最後は、たぶん大切な話へ。

「店舗限定」という、強すぎる言葉

「店舗限定」。

この四文字、地方に住むようになってから、妙に強く響くようになった。

ネット限定なら、まだいい。

ネット限定は、極端に言えばどこに住んでいても買える。

スマホを開いて、ポチッとすればいい。

ネットを使う人が少数ならまだしも、ネット社会となった今では、実は限定感があって、無いようなものである。

でも、

店舗限定は、そこに行かなければ買えない。

比較的都会に住んでいた頃は、

「今日はやめておこう」

「また今度来ればいいか」

少なくとも来週には、また来る。みたいな。

そんな余裕があった。

 

ところが地方に住むと、事情が変わる。

真面目な別用で東京に来た。

時間が空いたので、以前からネットで気になっていたある商品の下見に、その店に寄った。

質感や重さもチェックできた。やはり、いいな。

と眼の前には、同じデザインで、少しお高めの

「店舗限定」

の文字。しかもメチャクチャ好きなお色である。

すると突然、頭の中で別の声が聞こえてくる。

「次にここへ来られるのは、いつだ?」

「店舗限定 × 数量限定」という最強コンボ

これが、

店舗限定 × 数量限定

ともなれば、もう強い。

「今しかない」

「ここでしか買えない」

「そもそも旅費だけでいくらかかるんだ。」

人は、「いつでも手に入るもの」よりも、

「今、この場所でしか手に入らないもの」

に、不思議なほど心を動かされる。私だけ。

急に出てくる所属欲。ふだんは出ないのに。w

そんな見事なワナにかかり、予定になかった商品を買ってしまったことがある。

まあ、それも良き思い出ということにしておこう(笑)。

……と、ここまでなら単なる買い物の話である。

でも、ふと考えた。

医療も、少し似ているのではないか

患者さんは、わざわざ外来まで来ている。

仕事の時間を調整し、

家族に送ってもらい、

バスを乗り継ぎ、

時には体調の悪い身体で病院までやって来る。

そして診察室で、

患者と医師が、同じ場所で、同じ時間を共有する。

考えてみれば、これはかなり特別なことである。

オンラインではなく、

電話でもなく、

目の前に、その人がいる。

表情がある。

声の調子がある。

歩き方がある。

言葉にする前の「間」がある。

つまり外来診療とは、ある意味で、

「外来限定」

なのかもしれない。

やや強引であるが、

外来は「店舗限定」、その日の診察は「数量限定」

さらに考えてみる。

その日の診察は、その日限りである。

同じ患者さんと、

同じ医師が、

同じ体調で、

同じ気持ちで向き合う時間は、

もう二度と再現できない。

そう考えると、

「検査はまた今度でいいか」

「生活指導は次回でいいか」

「この話は今日は時間がないから、また今度」

と、簡単に先送りしてよいのだろうか、とも思う。

クリニカル・イナーシャ(Clinical Inertia、臨床的惰性)

 

もちろん、すべてを一度の外来で完結させることなどできないし、

過度な検査や指導も必要ないというか、やっちゃダメ

チュージング・ワイズリー(Choosing Wisely、賢明な選択)

 

医療は継続するものであり、次回があること自体にも大きな価値がある。

それでも、

「次がある」と思っているのは、医療者側だけかもしれない。

患者さんにとっては、次に受診できるのが数か月後かもしれない。

生活環境が変わるかもしれない。

体調が変わるかもしれない。

あるいは、その一言を聞くために、今日ここまで来たのかもしれない。

「今、ここでしかできないこと」は何だろう

店舗限定の商品に価値を感じるのは、単に商品が珍しいからだけではない。

そこには、

「今、この場所にいるからこそ得られる」

という価値がある。

医療も同じなのだと思う。

診察室でしか気づけないこと。

目の前に患者さんがいるからこそ聞けること。

今日だからこそ伝えられること。

患者さんの表情を見たからこそ、

「もう少し聞いてみよう」

と思えることもある。

何気ない一言から、

「実は……」

と、本当に困っていることが出てくることもある。

医療者も患者も、

リアルに向き合える時間そのものの価値

を、もう少し大切にしてもいいのかもしれない。

外来には「また今度」がある。でも「今日」は一度しかない

外来は、

「また次がありますから」

という場所であると同時に、

「今日しかない時間」

でもある。

次回につなげることも大切。

でも同時に、

今日、ここでしかできないことは何だろう。

そう考えるだけで、一回一回の診察の見え方や振る舞いが少し変わってくる気がする。

合わせて、「店舗限定」×「数量限定」ほどの訴求力を持つ、外来空間を作り上げるのが、私の第一歩なのかもしれない。

そして私は今、

「店舗限定 × 数量限定」

という強烈な訴求力に負けて、予定外の商品を買ってしまった過去についても、

これは医療について考えるために必要な出費だったのだ。

……と、都合よく解釈することにしている(笑)。

買い物も、外来も。

「また今度」と思えることは幸せなことである。

でも、

「今、ここでしか得られないもの」に気づくことも、同じくらい大切なのかもしれない。

おまけ

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コーチングを学んだらめちゃためになった✨️間違ってたら、コメントくださいm(_ _)m


私はコーチをしている訳ではない。
しかし、子育てや後輩の育成など、人を導き育てる機会は日常に溢れている。
そんな時に、こんな頭の整理ができていれば、、、✨️そんな大いに役立つであろうことをまとめました。

オーセンティックコーチングに学ぶゴール設定とコーチの役割

今回は、ルー・タイス氏や苫米地英人氏が中心となって体系化したオーセンティックコーチング(真のコーチング)の理論をもとに、その中核であるゴール設定とコーチの役割について、具体例を交えながら掘り下げていきます。
書籍情報は最後にあります。

 

1. コーチングとカウンセリングの決定的な違い

コーチングを理解する上で、まず明確にしておくべきなのはメンタルケアやカウンセリングとの違いです。

 

コーチングはメンタルケアではありません。メンタルケアやカウンセリング、セラピーは、心に寄り添い、現在の悩みや精神的なマイナス・逸脱を修復してあるべき現状へ戻すことが主眼です。そのため、目指す着地点は現状の内側にあります。

 

一方でコーチングは、いまいる現状から完全に飛び出し、未来に新しい居場所を創り出すための技術です。ステップバイステップで現状を少しずつ改善しようとしても、現状の外には出られません。

 

分類 主な目的 アプローチ 目指す領域
カウンセリング・セラピー 現在の悩み解消・心の回復 心に寄り添い、現状の歪みを整える 現状の内側(元の状態)
コーチング 新しい未来の創造と変革 過去を問わず、現状の外側へ引き上げる 現状の外側(新しい世界)
現状をケアしたい人がコーチングを受けると負荷が大きすぎ、現状を大きく変えたい人がカウンセリングを受けると物足りなさを感じるのは、この目的の違いによるものです。

 

2. ゴールの本質:現状の外側と利他性

コーチングのコアはゴール設定にあります。ゴールとは何かと問われたら、現状の外側に設定するものであり、社会貢献(利他性)を包摂するもの、と定義されます。

 

では、“現状の外側”とはどういうことか

現状とは、自分を取り巻く環境や、現在の延長線上で予測できる未来のすべてを指します。
大会で優勝する、社長になるといった目標は、一見高そうに見えても現在の延長線上にあるため、コーチング理論ではゴールとは呼びません。優勝して何がしたいのか、社長になって社会に何を仕掛けるのかという、その先の世界こそがゴールです。

 

人間は、一度も経験したことのない現状の外側をリアルにイメージすることができません。

 

たとえば、日本の味噌汁を全く知らない外国人に、味噌とは大豆を発酵させたもので、それを出汁で溶いたスープだといくら言葉で説明しても、味を正しく想像することは不可能です。目の前に出されても、実際に口にするまでは本当の味は分かりません。
イギリスの郷土料理であるハギス(羊の内臓を胃袋に詰めて茹でた料理)も同様で、言葉からソーセージのようなものを想像しても、実態とは大きくかけ離れます。

 

人間にとって現状の外側とは、この未体験の味のようなものです。一人では現状の外を認識できないからこそ、外側から引き上げる存在としてのコーチが必要になります。

 

人間の限定合理性とコンフォートゾーン

人は生来的に変化を好む生き物でありながら、同時に現状維持を好むという天邪鬼な性質を持っていルトも思っている。行動経済学者ダニエル・カーネマンが「我々の満足感は資産の量ではなく、資産の変化にある」と述べたように、人は同じ状態が続くことには満足できません。

 

ゴールを設定するということは、現在のコンフォートゾーン(居心地の良い空間)を広げることではなく、現状の外側に新しいコンフォートゾーンを創り出すことです。新しいゴールを設定した結果、いままでの環境がコンフォータブルでなくなり、居心地の悪さや違和感を覚えるようになれば、それは良いゴール設定ができている兆候です。

 

職業と趣味、そして利他性

ゴールには have to(やらねばならないこと)ではなく、人から止められてもやりたいという純粋な want to が不可欠です。

 

職業も趣味も、他人に止められてもやりたいことを選ぶのが理想ですが、両者の違いは利他性にあります。趣味は自分だけの満足で完結して構いませんが、職業や大きなゴールには社会貢献の理念が含まれます。

 

五輪競泳で数多くの金メダルを獲得したマイケル・フェルプス選手は、十代の頃から単にメダルを取ることではなく、「水泳をアメリカのメジャースポーツのひとつにし、アメリカ人の健康促進のために尽くす」という現状の外側の利他的なゴールを掲げていました。単なる記録更新にとどまらない大きな利他性があったからこそ、卓越したエネルギーが生まれたといえます。

 

3. 脳の情報処理:RASとスコトーマ

現状の外側が見えない原因は、脳の仕組みにもあります。

 

RAS(網様体賦活系)の働き

脳にはRAS(Reticular Activating System)と呼ばれる情報フィルターが存在します。
人間は五感を通じて膨大な情報を受け取っていますが、RASはすべての情報の中から自分にとって重要なものだけを活性化して意識に上げ、重要でない情報を無意識下に追いやります。

 

騒がしいパーティー会場でも自分の名前や興味のある話題だけがクリアに聞こえるカクテルパーティー効果は、RASの働きによるものです。
また、森の中でクマに遭遇した際、戦うか逃げるか(ファイト・オア・フライト)に集中するため、近くにいる小動物の可愛らしさに意識を割かないようエネルギーをセーブするのもRASの役割です。
ちなみに、熊に出会って、体が動かなくなったり、出会ったことを封じることで、からだが動かないfreezingが生じることもある。これは副交感神経の過緊張?!
少なくとも、「あ、あそこにリスがいるな🐿️👀」とはならないということです。
防御反応 意味 自律神経の状態 身体・行動のイメージ
Fight 🥊 戦う 🔴 交感神経優位 心拍↑、血圧↑、筋肉への血流↑。「やるしかない!」
Flight 🏃 逃げる 🔴 交感神経優位 心拍↑、呼吸↑、筋肉への血流↑「逃げろ!」
Freeze 🧊 固まる 🔵 副交感神経による“ブレーキ”が加わる 身体の動きが止まる、心拍が低下することがある。「動くな…/動けない」

 

見えていることと、重要だと認識していることは別です。自分にとって重要だと認識されていない情報は、目の前にあっても見えなくなります。この心理的な盲点をスコトーマと呼びます。
スコトーマを外すことや気づかせるのもコーチの大きな役割である。
そもそも私達もスコトーマがあることを認識すべき。

 

言語とブリーフシステム

脳が情報を取り入れる窓口(モーダルチャンネル)には五感と言語があります。中でも言語は臨場感を生み出しやすく、人間は他者の言葉に強く影響されます。

 

幼少期からの教育、親の言葉、社会の常識(特定の集団や時代で当然とされる価値観)など、刷り込まれてきた情報の集合体をブリーフシステムと呼びます。このブリーフシステムが、現在の自分とRASのフィルターを決定づけています。

 

4. コーチの役割とアプローチ

コーチの役割は、タスクを与えたり、小手先の業務改善テクニックを教えたりすることではありません。クライアントが現状の外側にゴールを設定し、ブリーフシステムを書き換える支援をすることです。

 

コーチの大前提と確認項目

コーチには揺るぎない3つの大前提があります。

 

  1. 過去には一切こだわらない(未来にしか興味を持たない)
  2. やりたいこと(want to)だけを扱う
  3. クライアントの利益を100パーセント優先する
コーチの揺るぎない3つの大前提


家族や上司は時にクライアントの現状維持を望む敵(ドリームキラー)になることがありますが、コーチは誰よりもクライアントの味方であり続けます。

 

コーチは常に対話の中で以下の3項目を同時に確認します。

 

  • ゴールが現状の外側に設定されているか
  • 好きなこと、やりたいことをやっているか
  • 過去を気にしていないか

内省言語による気づき

人のブリーフシステムを書き換える際、直接的に言葉で「こう変えなさい」と指示すると、相手の意識に上がって反発やコントロール感を生んでしまいます。

 

重要なのは、相手が無意識と意識の境界で自ら気づくように促すことです。
テレビCMなどで「その洗濯物、臭っていませんか?」「いつまでそのまま放置しますか?」といった問いかけを通じて危機感や関心を持たせるように、相手の心の中に「これは変えなければならないかもしれない」という内省言語(自己対話)を生み出すことがポイントになります。自発的に内省言語が生まれた瞬間に、ブリーフシステムは書き換わります。

 

5. エフィカシーとセルフエスティームの確立

現状の外側にあるゴールへ進むためには、自己評価の再構築が必要です。

 

用語の明確な区別

コーチングでは、エフィカシーとセルフエスティームを明確に区別します。

 

概念 定義 本質
エフィカシー ゴールを達成するための自己能力に対する自己評価 自分で自由に引き上げるもの
セルフエスティーム 従来は社会的地位の評価。コーチングでは「自分のゴールの凄さを自ら誇る度合い」 外的な肩書ではなく、掲げたゴールの高さを誇る姿勢
社長や役員といった社会的な肩書に依存するのではなく、自分が掲げている現状の外側のゴールがいかに素晴らしいかを誇る状態こそが、高いセルフエスティームです。

 

エフィカシーを高めるアプローチ

エフィカシーは自己評価であるため、本来は自分自身の意思でいつでも上げることができます。
しかし、ネガティビティ・バイアス(良いことより悪い情報に強く反応する傾向)や、感情の乱れによって大脳辺縁系が優位になりIQが下がっている状態では、エフィカシーを保つのが難しくなります。

 

エフィカシーはブリーフシステムと外部環境が影響しあい、常にupdateされる。変えることが難しいブリーフシステムを直接変えようとせず、外部環境を少しずつ変化・整えることも効果的です。ただし、いきなり転職や引っ越しといった大きな変化を起こさなくても、以下のような身近な環境から更新していくことができると考えます。

 

  • 普段視聴するYouTube動画のチャンネルを変える
  • 参加するコミュニティや集まりを変える
  • 読む本のジャンルや著者の傾向を変える
触れる情報と環境が変わることで、RASの重要度判定が変わり、自己評価も自然と書き換わっていきます。

 

6. まとめ

コーチングの技術は、プロのコーチだけでなく、人を教え導くあらゆる場面で強力な指針となります。

 

  • ゴールは現状の外側に置き、社会への利他性を含めること
  • 過去を切り離し、純粋な want to を追求すること
  • 相手の内省言語を引き出し、ブリーフシステムの書き換えを促すこと
  • 高いエフィカシーと、ゴールの凄さを誇るセルフエスティームを育むこと
お互いのスコトーマを外し合い、エフィカシーを高め合える関係性を築くことができれば、個人も組織も現状の枠組みを越えて新しい未来を切り拓くことができます。日常の教育や指導の現場においても、まずは現状の外側へ視点を向ける問いかけから始めてみてはいかがでしょうか。
書籍情報

オーセンティック・コーチング
苫米地英人 (著) サイゾー

 

おまけ

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医学教育:「腫瘤(mass)」と「腫瘍(tumor)」違い

『腫瘤と腫瘍って同じですか?』『腫瘍って腫瘤とどう違うんですか?』『この出来ものは腫瘍ですか?腫瘤ですか?』
こんな問いを投げ彼らた時ようのブログです。

「腫瘤(mass)」と「腫瘍(tumor)」は何が違う?医学生にどう説明するか

医学を学び始めると、「腫瘤」と「腫瘍」という似た言葉が登場します。

さらに英語では、

  • 腫瘤:mass

  • 腫瘍:tumor

と表現されることが多く、両者の違いが分かりにくいと感じる医学生も少なくありません。

医学生に説明する際には、まず次のように整理すると理解しやすいでしょう。

massは「形や存在を表す言葉」、tumorは「病変の性質を表す言葉」である。

言い換えると、

massは「見つかった塊」、tumorは「腫瘍性病変と考えられる塊」である。

という違いです。

腫瘤(mass)とは?

腫瘤(mass)とは、診察や画像検査などによって確認された、一定の大きさをもつ「塊」を表す言葉です。

その正体が何であるかは問いません。

腫瘤の原因としては、たとえば次のような病変が考えられます。

  • 良性腫瘍

  • 悪性腫瘍

  • 嚢胞

  • 膿瘍

  • 血腫

  • 炎症性病変

  • 肉芽腫

つまり、massは病名ではなく、主として形態や所見を表す言葉です。

身体診察や超音波検査、CT、MRIなどで「何らかの塊がある」と判断した段階では、まずmassと表現できます。

腫瘍(tumor)とは?

腫瘍(tumor)は一般に、細胞が自律的に増殖して形成された腫瘍性病変を指します。

腫瘍には、良性と悪性があります。

  • 良性腫瘍:benign tumor

  • 悪性腫瘍:malignant tumor

したがって、tumorという言葉自体が、必ずしも癌を意味するわけではありません。

脂肪腫や血管腫、腺腫などもtumorに含まれます。

一方で、膿瘍や血腫、嚢胞などは画像上massを形成することがありますが、通常は腫瘍性病変ではないため、tumorとは呼びません。

「massは見た目、tumorは性質」

医学生には、次のように説明すると理解しやすいと思います。

massは見た目の言葉、tumorは病変の性質に踏み込んだ言葉。

あるいは、さらに簡潔に、

massは「そこに塊がある」という事実を表し、tumorは「その塊が腫瘍性病変である」ことを表す。

と説明できます。

ただし、臨床では両者が完全に厳密に使い分けられているとは限りません。画像所見だけでも、典型的な腫瘍性病変であればtumorと表現されることがあります。

そのため、「病理診断が確定するまでは絶対にtumorと呼んではいけない」ということではありません。

大切なのは、診断の確実性に応じて言葉を選ぶことです。

具体例1:肺に塊が見つかった場合

胸部CTで、左肺上葉に4cmの塊が見つかったとします。

この時点では、

左肺上葉に4cm大のmassを認める。

と表現できます。

考えられる病変は肺癌だけではありません。

  • 原発性肺癌

  • 転移性肺腫瘍

  • 肺膿瘍

  • 結核

  • 真菌感染症

  • 炎症性偽腫瘍

  • 肺梗塞

など、さまざまな可能性があります。

その後、生検によって肺腺癌と診断されれば、この病変は悪性腫瘍、すなわちmalignant tumorであると判断できます。

ポイント

CTで塊を発見した段階では「肺腫瘤」であり、検査を進めた結果、その正体が「肺癌」であると分かる、という流れです。

具体例2:肝臓に病変が見つかった場合

腹部超音波検査で、肝右葉に2cmの腫瘤が見つかったとします。

この段階では、

肝右葉に2cm大のmassを認める。

と表現できます。

鑑別診断としては、

  • 肝細胞癌

  • 転移性肝腫瘍

  • 肝血管腫

  • 限局性結節性過形成

  • 肝嚢胞

  • 肝膿瘍

などが挙げられます。

精密検査によって肝血管腫と診断された場合、肝血管腫は良性腫瘍です。

一方、肝膿瘍であれば画像上はmassとして見えることがありますが、tumorではありません。

ポイント

肝血管腫はmassであり、かつtumorでもある。

一方で、

肝膿瘍はmassではあるが、tumorではない。

という整理になります。

具体例3:乳房にしこりを触れた場合

乳房にしこりを触れた場合、その正体が分からない段階ではbreast massと表現します。

鑑別診断としては、

  • 乳癌

  • 線維腺腫

  • 乳腺嚢胞

  • 乳腺炎

  • 脂肪壊死

などがあります。

検査の結果、線維腺腫と診断されれば良性腫瘍です。

乳癌と診断されれば悪性腫瘍です。

一方、乳腺嚢胞であればmassではありますが、厳密には腫瘍とは限りません。

具体例4:膿瘍の場合

腹部CTで5cmの膿瘍が認められたとします。

膿瘍は画像上、周囲とは異なる塊として描出されるため、mass lesionとして扱われることがあります。

しかし、膿瘍は感染や炎症によって形成された病変です。

したがって、

膿瘍はmassではあるが、tumorではない。

ということになります。

なぜ「tumor」という言葉は紛らわしいのか

tumorという言葉は、もともとラテン語で「腫れ」や「膨らみ」を意味します。

古典的な炎症の四徴候として知られる、

  • rubor:発赤

  • calor:熱感

  • tumor:腫脹

  • dolor:疼痛

のtumorは、「腫瘍」ではなく「腫脹」という意味です。

一方、現代の臨床医学では、tumorは主として腫瘍性病変を指す言葉として用いられています。

この歴史的な意味と現代的な意味の違いが、用語を分かりにくくしている理由の一つです。

「tumor」と「neoplasm」は同じなのか?

tumorと似た言葉に、neoplasmがあります。

neoplasmは、直訳すると「新生物」です。

細胞が正常な制御から外れ、自律的に増殖する病変を指す、より病理学的で厳密な言葉です。

実際の臨床では、tumorとneoplasmはほぼ同じ意味で使われることがあります。

ただし、tumorは文脈によって単に「腫れ」や「塊」を意味することもあるため、厳密さを重視する場合にはneoplasmという言葉が用いられます。

医学生の段階では、まず次のように理解するとよいでしょう。

massは形態を表し、neoplasmは病理学的な腫瘍性増殖を表す。tumorは日常臨床ではneoplasmに近い意味で使われることが多い。

カルテや画像診断レポートでの使い分け

診断が確定していない段階では、次のような記載が適切です。

CTで膵頭部に3cm大のmassを認める。

この表現から分かるのは、「膵頭部に塊がある」ということだけです。

この段階では、

  • 膵癌

  • 神経内分泌腫瘍

  • 腫瘤形成性膵炎

  • 自己免疫性膵炎

  • 膵嚢胞性病変

などが鑑別に挙がります。

その後、精査によって膵神経内分泌腫瘍と診断されれば、

pancreatic neuroendocrine tumor

と表現できます。

このように、診断が確定していない段階では、断定を避けてmassと表現することが臨床的に重要です。

医学生に覚えてもらいたい一文

医学生には、まず次の一文を覚えてもらうとよいでしょう。

massは「塊がある」という所見、tumorは「腫瘍性病変である」という診断・性質を表す。

さらに簡潔に言えば、

massは形、tumorは中身。

という説明でもよいでしょう。

ただし、tumorは必ずしも病理診断後にしか使えない言葉ではありません。

画像所見や臨床経過から腫瘍性病変が強く疑われる場合には、診断確定前でも「腫瘍」やtumorと表現されることがあります。

したがって、実際の使い分けでは、

どこまで病変の正体が分かっているのか

を意識することが重要です。

まとめ

腫瘤と腫瘍の違いは、次のように整理できます。

用語 英語 主な意味
腫瘤 mass 診察や画像で確認された塊
腫瘍 tumor 腫瘍性病変、または腫瘍と考えられる病変
新生物 neoplasm 細胞の自律的増殖によって形成された病変

臨床では、massは「所見」、tumorは「病変の性質や診断」に近い言葉です。

たとえば、

  • 脂肪腫はmassであり、tumorでもある

  • 肺癌はmassであり、tumorでもある

  • 膿瘍はmassではあるが、tumorではない

  • 血腫はmassではあるが、tumorではない

と考えると理解しやすいでしょう。

最後に、医学生に伝えたいポイントはこれです。

画像に塊が見えたからといって、すぐに腫瘍とは限らない。まずは「mass」として捉え、その正体を明らかにしていく。

これは単なる用語の使い分けではありません。

診断が確定していない段階で病名を決めつけず、感染症、炎症性疾患、血腫、嚢胞なども含めて鑑別診断を考えるという、臨床推論の基本姿勢にもつながります。

これはぜひ加えたい内容です。医学生は**「腫瘤(mass)」「結節(nodule)」「腫瘍(tumor)」をごちゃ混ぜ**に覚えてしまうことが多いため、この3つを整理すると理解が一気に深まります。

なお、「結節(nodule)」と「腫瘤(mass)」は画像診断では大きさで定義されることが多いのに対し、「腫瘍(tumor)」は病理学的概念であることを強調すると分かりやすいでしょう。

以下の「番外編」をブログの最後に追加することをおすすめします。


👀番外編:画像診断では「結節」と「腫瘤」は大きさで区別する

ここまで「mass」と「tumor」の違いについて説明しました。

実は、画像診断ではもう一つ重要な用語があります。

それが「結節(nodule)」です。

胸部X線やCTでは、「結節」と「腫瘤」は大きさによって使い分けられることが一般的です。

肺病変では3 cmが一つの境界

肺病変では、一般的に次のように分類されます。

用語 英語 大きさ
小結節 micronodule 3 mm未満
結節 nodule 3 mm以上30 mm以下
腫瘤 mass 30 mm(3 cm)を超える

つまり、

  • 3 cm以下なら「結節(nodule)」

  • 3 cmを超えれば「腫瘤(mass)」

と呼ぶのが一般的です。

例えば胸部CTで、

右肺上葉に18 mmの陰影

であれば、

Pulmonary nodule

と記載されます。

一方、

45 mmの陰影

であれば、

Pulmonary mass

となります。


なぜ3 cmで区切るの?

この3 cmという境界には臨床的な意味があります。

もちろん3.1 cmだから癌、2.9 cmだから良性というわけではありません。

しかし、

大きくなるほど悪性腫瘍である可能性が高くなる

ことが知られています。

そのため、

30 mmを超える病変は画像診断の世界ではmassと表現されることが多くなります。


「mass=癌」ではない

ここで注意したいのは、

massだから癌という意味ではない

ということです。

例えば、

  • 肺膿瘍

  • 炎症性偽腫瘍

  • 結核

  • 真菌症

でも3 cmを超えれば、

画像診断ではmassと記載されます。

つまり、

massは「大きな塊」という画像所見にすぎません。


用語を整理すると

ここまでを整理すると、次の表になります。

用語 基準 何を表す?
Nodule(結節) 30 mm以下 小さな塊(画像所見)
Mass(腫瘤) 30 mm超 大きな塊(画像所見)
Tumor(腫瘍) サイズでは決まらない 腫瘍性病変(病理学的概念)

つまり、

  • noduleとmassは「大きさ」の違い

  • tumorは「病変の正体」の違い

ということになります。


医学生へのワンフレーズ

最後に学生には、次の一文を覚えてもらうと混乱しません。

「NoduleとMassは画像診断の言葉、Tumorは病理の言葉。」

あるいは、

「画像ではまず『大きさ』を表現し、病理で『正体』を表現する。」

この考え方を身につけると、CTレポートや英語論文が格段に読みやすくなります。


(追記)厳密には臓器ごとに定義が異なる

最後に一つ補足です。

「3 cmルール」は肺結節・肺腫瘤における代表的な定義であり、肺画像診断では国際的にも広く用いられています(Fleischner Societyなど)。

一方で、肝臓、腎臓、甲状腺、乳腺などでは、「結節」や「腫瘤」の使い方が必ずしもサイズだけで決まるわけではありません。臓器ごとに画像診断の用語や分類法が異なるため、このサイズ分類は主に肺病変に適用されるものと理解しておくと正確です。

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